2009/11/15 思い出

鶴田打撃投手のご尊父様がお亡くなりになったそうです。(13日付トーチューより。東山にしこさんいつもありがとうございます)。心からお悔やみ申し上げます。
神宮で一度拝見したことがあります。03年10月の、多分鶴田投手(当時)が一軍登録されたタイミングだったと思うのですが…。ブーツをはいてらして、身支度もぱりっとしていらして、ナイスミドルという言葉がしっくりくる、かっこいいおじさまでした。
ただ、内野でも外野でも見た記憶があるので、もしかしたら複数回見ているのか、はたまた夢現の区別がついていないのか。以前のログも掲載した方が自分の記憶に役立つと思った今日この頃。
思い出は時間とともに遠ざかりつつあります。寂しいですね。

今から献血行ってきます。帰ってきたら更新するかも。カープネタはないけど。

2009/11/03 ノーマンとかレイトンとか

新外国人の話ではありません。
九州一周駅伝真っ盛り(?)です。実際のレースは見てませんが、西日本スポーツの速報ページを毎日のように見ています。
楽しいです!!(ザブングル風に)
宮崎や福岡は社会人チームのおかげで有名選手が走るのですが、それ以外の県の選手を見ているとなかなか面白いです。

  • 元箱根ランナーの与那覇選手(沖縄、亜細亜大出身)
  • 50歳ランナーの平田選手(沖縄、孫が3人)
  • ハーフランナー上原ノーマン浩選手は亜細亜大らしい。箱根で見られる日が来るのだろうか。
  • もう一人ハーフランナー勝田レイトン選手(大分)。What is パワーポイントイングリッシュ?
  • てか普通に外人選手がいた。気付かなかった。デービット選手(鹿児島)。
  • 佐賀とか沖縄は地元国立大からランナー出さないといけないのか…。

毎日8区間前後あって、それが約10日連続して続くわけですから、選手層の薄い地域はいろんなところからかき集めてこないといけない。はたしてそこまでして開催する必要があるのか、と思わなくもないですが、毎年のこの大会を楽しみにしているんだろうなぁ、と思います。
なんかもう、ビバ!市民駅伝!ではないですか。
そんな九州一周駅伝が、私は大好きです。

あっ、ちなみに2000万を保留した現21番はもう一度自分のピッチング見て反省すること。
100球制限?それがなくてもそのあたりで降板になってるような感じだったけどね…。

2009/11/03 久しぶり

三村氏 早すぎる死を惜しむ声「残念」「寂しいよ」(スポーツニッポン)

▼元広島・大下剛史氏の話
若い。病気に負けちゃいかんと言っていたのに。四つ下で、小さいころから草野球をやった仲。幼稚園、小学校、中学校、高校、みんな後輩で弟のようだった。広島で1、2番を組んで初優勝した。一人で逝ってしまった。考えられない。

三村さんの悲報に惜別の声(中国新聞)

「敏之、敏之とかわいがっていたからショックが大きい。つらい。まさかという思いだ」。広島県海田町で幼少期をともに過ごし、初優勝時には1、2番コンビを組んだ大下剛史さん(64)は声を落とした。

まずは、三村氏のご冥福をお祈りいたします。私は99年(達川1年目)からのファンですので、三村氏は解説の人というイメージでしかないのですが、ドラフト中継では楽天の席にいらっしゃったので、まさかこんな一報を聞くとは思いもしませんでした。ドラフトでは、多少髪がのびてんなぁ、くらいにしか思ってなかったのですが。

そして、久しぶりの大下氏登場です。東スポには寄稿しているようですが、果たして東スポを公の場と言っていいものかどうか。
幼い頃から知っている人間が亡くなってしまうなんて考えられないのも当然だと思います。
「病気に負けちゃいかんと言っていたのに。」なんとなく、大下っぽい一言だなぁと思いました。大下がテレビを退いた理由の一つに、体調不良説があげられることがあります。それがもし本当なら、自分の病気をよそに三村氏を励ましていたのか、はたまたお互い励ましあっていたのか。どちらにせよ、こういう結果になってしまったのは悔しくてしょうがないでしょう。

大下、三村さんの分まで負けるなよ。

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野球日記2009年

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